俺の語学の起源

こんにちは!どこにでもいるふつうの大学生(20)です笑笑。今日は、なぜ俺が語学が好きで、人に教えたいと思っているのか、その古い起源について書いていきます。少し長くなりますが読んでいただければ嬉しいです。

 

 

今から53年前、日本から3600km離れた東南アジアの社会主義国ベトナム🇻🇳で起きた悲劇に起源があります。ベトナム戦争です。

 

失礼ながら、皆さんは毎日のように空から枯葉剤やナパーム弾が降り注ぎ、何千何万という軍が押し寄せ街を破壊していく様子を見たことはありますか?おそらく、多くの人がないと答えるはずです。そして、53年前俺の母さんはそんな地獄の中でこの世に生まれました。母さんは当時、とても貧しく日々食べていくのもやっとでとても苦労しました。そして、1968年、母さんが3歳の時、当時住んでいたサイゴンの街に北ベトナムの兵士が大量に攻めてきて、アメリカ軍と熾烈な戦闘を繰り広げ多くの人が死にました。わずか、200〜300m離れたとこで爆弾が炸裂したり、多くの人が亡くなり街には数え切れないほどの死体が転がっていました。母さんは日々明日どうなるのかと不安に怯えながら、ただ死にたくない、生きたいと願い続けました。その際、多くのアメリカ軍兵士や南ベトナムの兵士の人たちは、敵を撃退し母さんと家族を必死に守ってくれました。母さんは、まったく関係のない自分を守ってくれてありがとうと兵士たちに何度も何度もお礼を言いました。そして、これから先の未来必死に努力をして苦しんだ分幸せになろうと決意しました。

 

戦争終結後、母さんは優秀な学業成績を収めてアメリカのコロンビア大学大学院に進学し、修了し、その後は日本人と結婚し、日本に来ました。そして俺を日本で産んだ。

 

俺は幼い頃は、ベトナムに住んでいたこともあってベトナム語しか話せなくて苦労した。けど、母さんは、何度も何度も日本語を教え日本での暮らしが困らないようにしてくれた。今となってはこのことにすごく感謝している。

 

日本の小学校に通っていたある日、母さんは俺が生まれる前の話をしてくれた。そう、母さんが体験した悲劇、ベトナム戦争を。俺がこの世に生まれたのは、散っていった何千何万ものアメリカ軍と南ベトナム軍の兵士が命をとしてでも母さんを守ってくれたから、俺は今こうして生きていられるんだと。小学生だった当時の俺は最初は何のことかわからなかったけど、だんだん大人になるにつれてわかるようになり俺の命は幾千もの散っていた人たちによって支えられるているんだと実感した。

 

そこで決めた。俺をこの世にもたらしてくれた、幾千もの散っていった人たちそして、退役軍人の人たちに心からの感謝の意を伝えたいと。だから、俺は必死に英語を勉強した。彼らに最大の感謝と敬意を伝えるために、なんの欠陥もなく正しく完璧に伝え、そして俺をこの世にもたらしてくれたベトナムの故郷のために語学を必死に勉強した。苦しいとは思わない。なぜなら、散っていた英傑たちが俺の心の中に思い浮かぶから。

 

そして、語学でこの経験を世界中の人に伝え、今生きてる人は過去の人たちが未来のためにしてきたことによって成り立っているということを知ってほしいと思いまた、世界が、人が少しでも良くなるように貢献していくことが俺のすべきことなのだ。

 

これが、起源だ。